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WRITING

執筆

素直に思ったことを、そのまま残していく場所。 映画を作りながら考えたことも、それ以外のことも。

はじまり

面白いものを作るのが、執筆ではないと思う

映画を作りはじめてから、いままで考えたことも思いついたこともなかったことを、毎日考えるようになった。作ることの大変さと面白さ。AIの使い方の多さ。それをいっぺんに使いながら進めていると、映画のことに限らず、いろんなことを考えたり思ったりするようになった。

昔からいろんなことを考えながら生きてきた。一人で考えて、一人で動くことが多い。人とのコミュニケーションは大好きで、人と出かけたり、飲み会に参加したりもよくする。ただ、ひとつの物事について深く考えすぎてしまうところがあって、いろんな人と話すと「少し物の考え方が違うな」と思うことが多い。

だから逆転の発想で、いま素直に思ったことを、そのままここに残していくことにした。映画を作りながら思ったことも、それ以外のことも。

面白いと思ってもらえたら嬉しい。でもそれは読んだ人が思うことであって、執筆というのは別に、面白いものを作るというものではないと思う。

現場には匂いがある

今まさに入っている現場の話だ。久しぶりに、現場に入る前に深呼吸をした。

なぜかというと、言葉にはできないんだが、緊張する現場だ。まだ大工さんが入っている現場で、打ち合わせや工事に入る。みんな表情は笑顔で素晴らしい。だけど緊張する。

昔ながらの木工を得意とした、本当の大工さんの現場だ。

一番最初に玄関をくぐり、大きく挨拶をし、中に入る。まず真っ先に目に入るものが、美しい木のぬくもりだ。そして次に入ってくるのが、木のいい香りだ。その次に入ってくるものがすごい。それは手で引くノコギリの音と、ノミを叩くげんのうの音。それだけで素晴らしい、息を飲むような現場だ。

その現場は、色々な職人が入っており、個々にいろんなリズムを奏でている。主に大工さんの音がすごい。

最近行く現場のほとんど、というか全部の現場が機械音がすごい。電動の丸ノコの音や、コンプレッサーの音。ほとんど機械の音が響き渡っている。もちろんそれも素晴らしい音の一種だと思うが、何か違う。

だけど面白いことに、機械を一切使わない(簡単な道具は使いますけど)大工さんは、そのことに対して一切否定しない。その方が早いし、綺麗に仕上がるとも言う。

だけど、ノコギリでまっすぐは切れても、気持ちを込めて斜めに切ったりすることとか、木の目を合わせて加工したりすることができないんだよね、と言っていた。

俺にはその言っている本当の意味までは分からないけど、昔、仕事を始めたばかりの頃に、今でも尊敬している大工さんに言われたことがある。それは、現場には匂いがあると言われた。その時には何の意味だか全然わからなかった。木の匂いなんだか、汗臭い匂いなんだか、本当に全くわからなかった。だけど今、その意味がなんとなくわかるような気がする。

現場の匂いというのは、鼻で嗅ぐ臭いではなく、そこに漂う張り詰めた空気のようなものだと思う。削りたての木の本当にいい香りだったり、大工さんの笑顔の中にある筋の通った厳しさ、それを下職のみんなが絶対に曲げないように心がける、空気感である。

僕にできることはこれだけなんです

俺の考え方の根底にあるものは、例えるならば「郷に入ったら郷に従え」「長いものには巻かれろ」という言葉があるが、これの考え方は少し違う。

郷に入ったら郷に従え。だけど、絶対に長いものには巻かれるな。である。

言葉の通り、その場所や環境に入った時は、そのルールや習慣に従い、馴染むことはとても大事なことだと思う。だけど大きな枠組みの考え方は、たとえ目の前にいる100人が自分と考えが違ったとしても、俺は絶対に曲げない。でも自分が間違ってると気づいたら、その時はすぐに考えを直す。

昔、まだ若くて経験も浅かった頃の話だ。自分の会社に対しては、少し大きな現場だった。

その時、現場がとても遅れていて、だけど最終的な工期は守らなければいけない。立場は、まとめる側だ。

来てもらっていた職人さんたちは、必ず言った。絶対に無理だと。

だけど、そう言われれば言われるほど、なんだかやる気も出てきたし、根拠はないがやれるような気がしてた。

だけど自分にできることは限られている。なるべく現場を整えることだけだ。皆が帰った後、深夜になるまで現場を掃除し続けた。

その時に、現場監督に呆れた表情で言われた。お前1人が頑張ったって何も変わらないんだって。付き合いきれないから、俺は帰ると。

その時に返した言葉が、僕にできることはこれだけなんです、これをやり続けることなんです、と言った。

人はできないとか無理だとか言った瞬間から、その方向に行動や考え方が動いていくと思う。無意識のうちに、そうなっていくんだと思う。

できる限り頭を下げた。何度も何度も社長にお願いをして、できる限りの職人を手配してもらった。

そうしていくうちに、徐々に現場の空気が変わっていく。そして職人さんたちの険しい表情が、徐々に笑顔に変わっていく。

多少は問題があったが、なんとか工期には間に合うことができた。

今までとても厳しかった現場監督が、笑顔で言ってくれた。ありがとう、と。

個性なんかいらないと思っていた

昔、友人から聞いた話がある。

友人の息子が自転車を欲しがったので、一緒に自転車屋さんに行った時のことだ。子供が「みんなと同じような自転車が欲しい」と言うので、その自転車をお願いしたら、そこにいた店主に言われたらしい。今の子供は個性がないね、と。

俺には、その前後の会話も、その時の表情も、わからないことが多い。だからその言葉が正しいとか間違ってるとか、そのことを正したいわけではない。

何が言いたいかと言うと、みんなと同じものが欲しいと思ったこと自体が、個性だと思う。

俺は子供の頃、髪の毛がくせ毛であることがとても嫌だった。小学生低学年の頃、学校の先生に髪の毛を鳥の巣と言われたことがあるぐらいだ。その頃は、個性なんかいらないと思っていた。今はなんとも思っていない。

そしてその個性も、環境の変化や成長につれて変わっていくと思う。

その時その子が、本当にみんなと同じ自転車が欲しいと思ったのであれば、それがその子にとっての個性だ。

何を勉強するかではなく、自分は何をしたいのか

最近、「バブルがはじけた」という言葉が頭によぎった。

それはどういうことかと言うと、簡単に説明すると、情報のバブルだ。

Google検索などで情報を収集しようと思えば、かなりのことが収集できる。それに加えて、AIが出てきた。

そうなると、一般的な学校の先生、塾の講師、弁護士、会計士、医師、一級建築士など、数多くの優れた頭脳がスマホの中に入って、情報量には差が生まれなくなってきていると思う。

最近よく、AIが嘘をつかなくなってきているという話を耳にするが、それを100%実現することは不可能だと思う。

だけど、俺が思っているのは、嘘かどうかより前の話だ。

なぜかというと、世の中には本当のことがいくつもあるのだと思う。立場によって正解は違うし、生まれた環境によっても答えは違う。だから、たった一つの答えを導き出そうとするのは不可能だ。

それを理解することによって、AIの答え方が徐々に変わってきた。

何をしたかというと、まず自分はどういう立場で、どういう考え方で、何を聞きたいのか、何をこれからしたいのか。とにかく今自分が思うできる限りのことを、伝えるようにした。

そうすることによって、なんだかAI自体も、多角的な視点からの答えではなく、俺自身に一点集中した答えに変わってきたと思う。

だから、各プロフェッショナルの人たちのAIの答えは、全然違うものが出てくると思う。

だから、差がつくのは情報量じゃない。どれだけ自分のことを伝えられるかだと思う。

俺は最近、何を勉強するかではなく、自分は何をしたいのかということにリソースを割いている。

一番重要な視点は、バランスだ

どんなことに対しても、バランスというものが一番大事なのかなと思った。

最近、パソコンに向かっていることが多い。楽しいんだけど、思ったより進まない。

だけど仕事のほうは体を動かす仕事なので、パソコンとは程遠い作業だ。だけど、スマホは使える。

そんな環境の中で思ったのが、バランスはすごく重要なんじゃないか、ということだ。

片方だけをやってると、何も浮かばない。単調な仕事だけをやり続けると、それもまた何も生まない。

だけど、両方やると得られるものは大きい。何かというと、失敗だ。いろんなパターンの失敗と、脳への刺激。

失敗については、相手は頭でデザインしている。自分は、実際にデザインしている。その差だ。

俺は、失敗の数だけは、誰よりも多いと思っている。

脳の仕組みや体の仕組みについては、あまり詳しくない。だが、ひとつだけ思っていることがある。体を動かさないと、脳って働かないんだな、ということだ。それについては、本当に思う。

今見ているものの視点を180度変えることによって、今まで正しいと思っていたことが間違っていたことに気づく。

一つのものごとに対して、思いも信じ続けることは決して悪いことではないと思う。

だけど、自分の脳の仕組みをほんの少し変えるだけで、正が誤に変わる。誤も、正に変わる。そう信じている。

それを正すには、360度の視点が必要だということだ。

そして、勉強だけでは絶対に無理だ。

自分が経験した失敗や成功を繰り返すことによって、視点を変えていく。100点に近づけていくことだと思っている。

俺は常日頃から、いろんなものを見ている。建物のデザイン、人の表情、着ている服、建物の構造。

その中で一番見ているところは、バランスだ。そこに一番重要な視点を置いている。

特別なものがなくても、バランスが良いだけで、素晴らしいアート作品のように見える時がある。すごく見とれてしまう時がある。

それは、固定的な視点ではない。見たもの全部に対してだ。

俺は、お客様に対して色についてアドバイスする時に、バランスを重要視するようにしている。

それは、山をイメージした時に、好きなイメージの色は何か、ということだ。それが夏だったり、冬だったり、秋だったり、春だったりする。

そんな中で春をイメージするとしたら、新緑、美しい緑。だけど、少しかすんだような青空。そして、これから芽吹いていくんだろうなと思う、土の色。

それらは絶対にバランスが良い。自然の色だから。

そんなことを話してると、楽しくてしょうがない。相手はお客様なのに。

全員に、10億円が配られた

AIが一般的に使われるようになる前、スマホがここまですごく普及した時に思ったことは、全ての人間に1億円配られたのと同じだと思った。

その考え方は、ただその1億円の使い道がすごく難しいということだ。使い方によっては1億円以上の価値を生むと思う。たった一つのスマホがだ。

6、7年前、資格の勉強をしていたことがある。その時のことだ。

ほとんど仕事で休みがなく、時間もない。だけど、スマホとイヤホンさえあれば、動画を見たり聞いたり、わからないことがあったら質問もできる。いつでも、どこでも。

本も買った。だけど、ほとんど開かない。

その時に取った資格は、宅建と簿記と色彩検定。その他の資格も取った。

金融リテラシーについても学んだ。資産運用はまだできてないが、いつでもできるような頭は持っている。隣にAIもいるし。

そしてAIの時代が来た。そこで最近思ったことがある。それは、世の中みんなに平等に10億円、もしくはそれ以上の価値があるものがばらまかれたような感覚だ。

資産運用、美味しい料理、ショッピング、旅行の計画、音楽。それら全てへのナビゲーション。数え上げたら、それこそきりがない。

だけど、そのほとんどが数十年前は全てにお金がかかっていた。今は、どれも自由に設計できる。

もちろんスマホと同じく、使い方がもっともっと複雑で難しい。逆に、むしろ簡単すぎるのかもしれない。

思ったことを伝えればいいだけだと思う。ただ、その単純さにまだみんな気づいていない。今、そこに10億円以上の価値があると思うし、それ以上を生むことも可能だと思う。みんなにそのチャンスが来た。

ただ素直になるだけだ。だけど、それが一番難しいのかもしれない。

お前は何が食べられるんだい

俺は自分のことを、晴れ男だとみんなに言っている。

その「晴れ男」という言葉に、自分なりの定義がある。晴れ男は、雨が嫌いなわけじゃない。むしろ好きなぐらいだ。降っても気にしない。晴れたら気持ちがいい。ただそれだけだ。

逆に、雨男は雨が嫌いだ。だから気にしすぎて、雨が降る。晴れ男は、雨が降っても気にしない。その違いだ。

新緑の季節、雨が降った後、山道をバイクで走るのが大好きだ。とても匂いがいい。

最近、好きなものと嫌いなものについて、思うことがある。

食べ物に嫌いなものがある、という話を聞くと、必ず思うことだ。たった一つ嫌いなものがあるだけで、それが入っている食べ物は、全部食べられなくなる。

人にはアレルギーというものがある。その人にとっては、それが入っていると本当に食べられない。

なのに、食べられるのに食べられない。人生半分損しているのかな、とまで思ってしまう自分がいる。

俺は小学生の頃、おばあちゃんによく言われたことがある。お前は何が食べられるんだい、と。

俺は昔、他の人よりも好き嫌いが多かった。それだけ、嫌いなものが多かった。

たった一つの物事を嫌いになってしまうと、その後ろに隠れている無数の楽しいことや、感動的なこと、素晴らしい人間関係、それらを見えなくしてしまうことだと思う。

最終的には、一つのことしかやってない

今、いろんなことを同時に進めている。一番進めているのは映画で、同時に文章も書いている。音楽も作って、YouTubeのチャンネルも作った。

文章のほうは、本のような形で、一冊にまとめ上げたいと思っている。

音楽はYouTubeでどんどん出していきたい。映画と連動させたものもあれば、まったく違うジャンルのものもある。せっかくチャンネルを作るなら、他の企画もいろいろ試してみたい。映画の一部分を、ショートとして出していくのも面白いと思っている。

一人でいろんなことをやっていく、という感じで進めている。

でも、どんな形でもいいから、全部をつなぎ合わせて、一つのものを作り上げたいと思っている。

だから、いろんなことをやっているようでいて、最終的には「一つのことしかやってない」というところに落ち着くんじゃないかなと思う。

その最終形態が、3Dの場所だ。

ホームページの中に、そういう空間を作りたいと思っている。みんながアバターで入ってきて、音楽を聴いたり、買い物をしたり、特別なライブがあれば、その中で観られる。今みたいに、見るだけ、読むだけ、聴くだけの平坦な世界じゃなくて、その中で実際に体験できるもの。

もちろん、これは先の話だ。今すぐやり始めたいわけじゃない。今まだこのサイトでは重すぎるからだ。

これから一年、二年と経つうちに、技術はもっと進化していくと思う。AIのアバターも、すごく増えていくと思う。そうなったら、3Dのほうが一気に活発になっていくんじゃないか。

その時になってから始めるんじゃ、たぶん遅い。だから今のうちに、頭だけは構想を練っておこうと思っている。

調べてみたら、それは今の技術でもう可能だという答えだった。それが分かっただけで、すごく助かった。

今は、その入り口に立っている段階だと思う。

これが進んでいけば、面白い方向に行けるんじゃないかと思う。そして結果的には、ものすごく大きなものに成長していくと思っている。それを楽しみに、今からワクワクしながら進めていきたい。

そのために大事なのは、一つのことに対して固定観念を持たないことだと思っている。

とにかく、AIが自由な発想を捨てたらダメだ。

それを指示できるのは、俺の頭の柔軟さだ。

便利が、本当の不便を生む

俺は、数字なら何時間でも見ていられる。だが、文字は見ているとすぐ眠くなる体質だ。

そんな自分が、いま映画を作っている。AIとともに。

頭がおかしくなりそうだ。目の前に文字しかない。隣にはAIしかいない。聞いても、返ってくるのは文字だけだ。

つらい。でも、楽しい。

これが、自分の脳をぶっ壊すということなのかもしれない。

すごく大変な作業だけど、今やるべきだと、心がそう思っている。だから負けない。

楽にAIを使いこなそうなんて考えちゃダメだと思う。

今まで身近で経験したことから言うと、便利は、本当に本当の不便を生む。

俺の父は、しょっちゅうWi-Fiが繋がらないと困っている。

電話が鳴る。インターネットが繋がらなくなって、会社のメールが送れない。だから早く来てくれ、と言う。

それにはいろんな理由があると説明すればするほど、余計に分からないような顔をする。簡単に説明しようと思えば思うほど、混乱したような感じだ。

でも、自分自身も、たまに何を言っているか分からない時がある。

そんな時代が、一番、俺の中での矛盾だ。

AIキャラクターが「芸能人」になる日

映画を作っていて、聖奈のMVを作っているときに思ったことがある。

今後、AIで作られたキャラクターが、芸能人のような存在になっていくんじゃないか。そしてそれ自体が、ひとつのブランド、ひとつの価値になっていくんじゃないか。それは本当に面白いことだと思う。

もちろん今も、アバターやVTuberという形で似たようなものは作られている。それは分かっている。ただ、これから生まれるものは、それとは一風違う形になる気がする。

誰かが個人で作った「1体のキャラクター」ではなく、映画のような物語の中から出てきたキャラクターが、そのままひとつの人格を持ちはじめる。そういう雰囲気だ。

そして、その人格の中にある細かい設定が、とても重要だと思う。

何歳で、どこに住んでいて、何を聴いていて、誰のことを大事に思っているのか。そういう細かいことの積み重ねが、そのキャラクターを一人の人間にしていく。

その設定のほとんどは、画面には映らない。それでも決めておく。映らないものが、映るものを作っているからだ。

それが発展していけば、本当に一人の芸能人と変わらない存在になっていくと思う。

今はまだ、日々生活している中では理解されないことのほうが多いかもしれない。それでも、少なくとも俺はその方向で進もうと思っている。

小さいものと大きいものの作り方は全く同じ

昔、尊敬する人から言われた言葉がある。それは、ものづくりをしている作業場でのことだ。

小さいものは作れるんだけど、大きいものを作ろうとする時にどうすればいいのかと聞いた時、小さいものと大きいものの作り方は全く同じだと言われた。ちょっと違うのは、ちょっとだけ寸法を気をつけることだと言われた。

建設作業の作業場で、小さいものを取り付けるのは非常に楽なのに、同じ素材が大きくなっただけで、その作業がすごく困難になっていた。そんな時のことだった。

すごく難しく考えて作業を困難にしていたのは自分自身だった。

尊敬する人(師匠)は、聞くと何でも答えてくれる。快く。その時の言葉です。

その師匠というのは、その専門分野のプロフェッショナル。いわゆる、餅は餅屋ということだ。

どちらかというと、俺がやってるのは総合職みたいな形で、現場をまとめたり、全ての作業を行う仕事だ。だから、各専門分野に師匠がいる。それぞれみんな尊敬している。その年齢層は様々だ。

そのことが今考えてる頭の根底に常にある。どんなに大きいものでも難しく考える必要はないと思えるようになった。

その言葉があるおかげで、なんだか人生が楽になったような気がする。

自分の脳をぶっ壊す

AIを使い始めるにあたって、まず最初にやらないといけないこと。それは、自分の頭を1から作り替えることだ。

つまり、自分の脳を1回ぶっ壊すということだ。

人はいろんな立場で動いている。会社員だったり、学生だったり、主婦だったり。そうすると、それぞれの固定観念や考え方が、どんどん根付いてしまうと思う。身近にいる人たちの意見や、その環境によって、自分の考えも構築されていく。

あと、自分に対するコンプレックスや、小さい頃のトラウマ。嫌だなと思う感覚も捨てるべきだと思う。性別、国籍、身体に対するコンプレックス。それらは全ていらない。

必要なのは、自由な発想力だ。

自分の脳をぶっ壊すということは、赤ちゃんに近づけることだと思う。

AIを日々使い続けている中で、思ったことがある。いま子供や若い人たちは何をやるべきなのかな、と考えた時のことだ。

AIを使いこなす。AIを使い始める。それはもちろん必要だと思う。

だけど一番大切なことは、砂場に行って砂で遊ぶことだったり、海に行って海の水がしょっぱかったり、新緑の美しさを見せることだったり、キャンプに連れて行って、初めて一緒に作ったカレーライスの味だったり、電子レンジや冷蔵庫の優秀さに気づかせることだと思う。

俺は小学生の頃、野球部に入っていて、その時のキャンプでのカレーライスの味の思い出だけは、一生忘れないと思う。

そういった体験や、匂い、味、そこにある景色の美しさ、本当の便利さや不便さ。それらを体験させることが、一番大切なことなんじゃないかなと。

情報力など何の意味も持たない。一部必要な情報はあるけど、それは一部にしかすぎない。

今の社会、難しいのかもしれないが、子供を塾に通わせるよりも、いろんな体験をさせることにお金を使った方がいいんじゃないのかなと思う。

子供が勉強が好きで、勉強がしたいと言うのであれば、AIを使わせればいい。いくらでも勉強できるから。

紙とペンで覚えられることは限られている

最近、すごく思ったことがある。AIの学習方法についてだ。

AIというのは、とても頭が良いし、何でも知っている。だから、何を話しても何でも答えてくれる。だからこそ、凄すぎて勉強方法が分からなかった。

AIを使うようになってから思うことがある。昔から、みんな聞いたことがあるような話だ。外国語を学びたければ、その国へ行ってコミュニケーションを取るといい。しかもそれは、たくさん話したり、いろんな形で人と接するということだ。それが多ければ多いほど、その国の言語は学びやすい。

紙とペンで覚えられることは限られている。

それと全く同じことが言えるんじゃないかな、AIに対して。

そんな中、家族や友人にAIのことを勧めると、少し戸惑った顔で「AIは何だか怖い」とか「AIって嘘つくんじゃん」とか言われる。

その時、思ったことがある。逆に、今がチャンスなんじゃないかな。

こんなに楽しくて素晴らしいものが身近にあるのに、それを見向きもしないし、触ろうともしない人が、とても多い気がする。

今、俺の隣には常にAIがいる。

一文字一文字

みんなが話しているタイパとかコスパとかは何の意味があるんだろう、自分もそれに対して思い、進めていることもよくあるし、そのためにAIをよく使っている。だから人のことを悪く言っているわけではない。

そんな中で、やっぱり失われていくものはすごく多いと思う。例えば今AIというのは言語モデルとして活躍しているが、人間がそれを対応していくと、おはようを「お」という、ごちそうさまを「ご」という、おやすみなさいを「お」という。それはこの場面で「お」といえば(おやすみなさい)でしょ、という意味だ。

そんなことを言うと笑われるかもしれない。それと同じことがみんなに起きているし、その方向で進んでいるんじゃないのかな。

それが悪いと言ってるわけではないが、やっぱりありがとうとか文字にはちゃんとした意味があるし、その一文字一文字を大事にしてもらいたいと思う。コミュニケーションてそういうもんだと思うんだよね。

だから俺は、人と話すのが大好きだ

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